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河崎氏館跡


登城日:(2005.04.27)
所在地: 川崎市川崎区宮本町、稲毛神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
稲毛公園内 ■稲毛神社
 当社は明治維新まで「山王社」といわれた。鎮座地の「堀の内」は、この付近を開発した「川崎荘」とした在地武士の館跡と推定される地名であり、当社も同荘の鎮守として勧請されたものとみられる。
 中世における当社の推移は定かでないが、応永十一年(1404)に大般若経書写奉納の動きがあった。近世初頭、伊奈氏による備前検地をうけ、20石の朱印を安堵され、以降川崎宿の惣鎮守として、人々は事あるごとに当社へ詣で地域の精神的紐帯となった。
 8月の例祭は宮座の制を残す古式なものである。

『稲毛神社案内板』より

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資料
 

私見
小土呂橋遺構です。  当地は平安時代末期に領有していた河崎冠者基家(秩父平氏)が山王権現を勧請した後からは「河崎山王社」「堀之内山王権現」「五社山王」「三社宮」などと呼ばれています。また、境内の片隅には小土呂橋の遺構が設置されています。小土呂とは現在の小川町で、東海道が新川堀(今の新川通)を横切るところにかけられていた橋の一部です。案内板にもありましたが、ここでは遺構を探すヤボはいわず、ただ在りし日へ思いをはせ、感じ入るだけで十分ではないでしょうか。
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