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作延城跡
登城日:(2003.02.22)
所在地: 川崎市高津区下作延、緑ヶ丘霊園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 霊園内にある作延城跡  多摩川の右岸にそってのびる多摩丘陵は、自然の要害をなし、中世の頃鎌倉を守る外側の防衛線として点々と山城が築かれました。今日、その伝承されるものには、小沢城、枡形城、作延城などがあり、また源氏の祈願所で頼朝の弟、全成が院主となった威光寺(現妙楽寺)も丘陵の一画を占めていました。
 当地は、山城を構えるのにふさわしい地形であり、『新編武蔵風土記稿』は城山堀、矢倉塚、天守台などの地名をあげ、この付近を作延城の跡と推定しています。
 なお、世間では鎌倉時代の初期、ここから西四キロメートルの枡形山(現生田緑地)に本拠を構えた稲毛三郎重成が築いたものと言われています。

『作延城跡案内板』より

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資料  

私見 霊園内にある作延城跡  JR南武線「津田山」駅を降りて、駅南側へ線路をまたいで緑ヶ丘霊園へと足を進めました。少しずつ傾斜をあがっていくその先は丘陵地帯に広がる霊園でした。
 霊園内に入ると管理事務所左脇の道を進みます。事務所横に作延城址とかかれた矢印に従っていくと城址碑がある地点まで連れて行ってくれました。矢印をたどって到着した地点には案内板と城址碑があるのみで、まわりを見渡してみて城跡を示す遺構らしいものは見つかりません。ですが、広くまわりを見通せる丘陵の先端に位置する城の縄張りはかつては自然地形をうまく利用したものだったのでしょうね。
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