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寺尾城跡
登城日:(2003.08.06)
所在地: 横浜市鶴見区馬場町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 住宅地の中にひっそりとたたずむ城址碑  寺尾城は戦国時代に、小田原北条氏に仕えた諏訪三河守五代にわたる城址である。永禄十二年(1569)十月、武田信玄の小田原侵攻のさいに寺尾城は没落したといわれている。城跡には、当時の空堀・土塁・曲輪など中世の城郭が残り貴重な遺跡となっている。
 町名の馬場・諏訪坂などに城のようすがいまに伝えられている。

◆寺尾城址の発掘
 殿山公園から西方にかけての丘陵一帯寺尾城址として古くから知られていました。平成五年十二月に、殿山公園の整備事業に伴う発掘調査が財団法人 横浜市ふるさと歴史財団 埋蔵文化財センターによって実施されました。
 調査は、東西に延びる「空堀」の一部を含めた丘陵頂部の170平方メートルの範囲を対象として行われました。発掘調査の結果、空堀は、断面が底の狭いV字形を示し、壁の角度(勾配)が50°〜70°と急傾斜で、地表面から堀の底までの深さが約3メートル、底の幅は約1メートルでした。堀のなかには土塁の崩落によると推測されるローム土が多量に堆積し、上位からは江戸時代の宝暦年間に噴火した富士山の火山灰が発見されました。このことから、この堀は18世紀初頭には大部分が埋まっていたことが明らかとなりました。
 この発掘調査によって、『新編武蔵風土記稿』に記され、「寺尾城址」として伝承されている中世城郭址の存在を初めて考古学的に裏付けることができました。

『寺尾城跡案内板』より

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資料  

私見 空堀跡が残る寺尾城跡  寺尾城跡に行くには、JR「鶴見」駅から臨港バス鶴01に乗り、「殿山」停留所で降りるのがいいんじゃないでしょうか。丘陵地帯の中腹に位置する停留所附近は馬場町といい、すでに城域内であるかのような印象を受けます。
 バスを降りるとそのまま坂を降り、バスの進行方向のままに30メートルほど歩きます。そして左側に階段が見えますのでそこを一番上まで上りつめます。結構しんどいです。
 上り詰めたらそれを右折ししばらく進みますと左手に城址碑が現れます。ですが、遺構を確認するには殿山公園にいかないといけませんので、城址碑がある地点を左折し、いったん傾斜を降りさらに傾斜をあがると公園内の木々が見えるようになります。
 公園を上から見ると結構良好に遺構を見ることができるのに驚かされます。カーブを描くように窪みが見えるのが空堀あとなんでしょうか。さらにその外側には背は低いものの土が盛ってあるのも見えます。周囲は所狭しと住宅地が建ち並ぶ宅地の中において、非常に小さな公園でしたが城跡の雰囲気を色濃く残した、なかなかの城跡でした。
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