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茂福城跡
登城日:(2000.05.27)
所在地: 四日市市茂福町字里ノ内
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
茂福城址と城跡。 平維茂の子孫、平貞冬が、越前朝倉よりこの地へ来て城を築き朝倉を名乗った。保ヶ西城の朝倉備前守と同族である。
永録十年(1567)にいたり最後の城主、茂福掃部輔盈豊は織田信長の武将滝川一益のため長島城へ誘いだされ殺された。
城主を失った茂福城兵は滝川勢と激しく戦ったが攻め落とされたという。
滝川一益は目代として山口氏を置き治めさせた。
この場所は、城の主廓の北西角に当たります。

『茂福城跡案内板』より

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資料
 

私見
茂福城跡。 近鉄電車が真横を通る茂福城跡は大部分が削られてしまっています。が、なんとか高さ2mほどの土壇が残されており、城跡としてなんとか保たれているといった感じです。浜田城跡同様ここも滝川一益に落とされたんですねぇ。
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