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井川城跡
登城日:(2002.09.01)
所在地: 松本市井川城1−4552
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 田圃のなかに残る井川城跡  小笠原貞宗は建武の新政の際、信濃守護に任ぜられ、足利尊氏にしたがって活躍し、その勲功の賞として建武二年(1335)に安曇郡住吉荘を与えられた。その後信濃へ国司下向に伴い守護として国衙の権益を掌握し、信濃守護の権益を守る必要からか、伊那郡松尾館から信濃府中の井川の地に館を構えたと見られる。
 井川館を築いた時期は明確でないが、「小笠原系図」では貞宗の子政長が元応元年(1319)に井川館に生まれたと記されているので、鎌倉時代の末にはこの地に移っていたとも考えられるがはっきりしない。
 井川の地は、薄川と田川の合流点にあたり、頭無川や穴田川などの小河川も流れ、一帯は湧水が豊富な地帯である。現在の指定地は、地字を井川といい頭無川が濠状に取り囲んでおり、主郭の一部と推定される一隅に櫓跡の伝承がある小高い塚がある。地域に残る地名には、古城、中小屋のように館や下の丁、中の丁のように役所の存在を示すものもある。またこれらのほかに中道の地名もあり、侍屋敷の町割等、寺などの存在から広大な守護の居館跡が想像される。

『井川城跡案内板』より

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資料  

私見  松本城にほど近い、松本市井川城の1丁目(?)に井川城跡があります。しかし住所がそのままお城の名前だなんて格好いいですね。って思うのは私だけかな?
 近くには矢印がついた看板でその存在を教えてくれるようになっているのでおそらく迷うことなくたどりつけると思いますが、現状の姿は田圃のなかに1m弱の高さの土盛りの中に大きな木が生えていて、その脇に案内板が建てられています。こういう扱いの城跡はもはや私にとっては目新しくないんで、常にデジャヴュを感じますねぇ(笑)。松ヶ島城とか。
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