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勝連城跡


登城日:(2005.07.16)
所在地: うるま市勝連南風原
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
勝連城三の郭 駐車場から見上げた勝連城の城壁  勝連城は、五つの曲輪からなり、最も高い一の曲輪に上ると、北は遥か金武湾を囲む山原の山々や太平洋の島々が望まれ、南は知念半島や中城湾、それを隔てて護佐丸の城である中城城が一望できる景勝地になっています。
 城は、琉球王国の王権が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した有力按司、阿麻和利が住んだ城です。伝承によると城主は勝連按司から最後の城主阿麻和利まで10代と伝えられています。勝連城や城主(按司)について、沖縄最古の歌謡集である『おもろさうし』に数多く詠まれていて、勝連は”きむたか”(肝高)と表現され、日本本土の京都や鎌倉にたとえられるほど繁栄していたとあり、阿麻和利も「千年もこの勝連をおさめよ、勝連の名高き王」と讃えられています。
 阿麻和利は、国王の重臣で中城に居城した護佐丸を1458年に滅ぼし、さらに王権の奪取をめざして国王の居城である首里城を攻めましたが、大敗して滅びました。阿麻和利が滅ぼされたことによって、首里城を中心とする中山の王権は一段と安定しました。

『勝連城跡案内板』より

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資料
 

私見
一の郭から見下ろした二の郭 一の郭の城壁  勝連城へと目指す道の先、勝連半島の上には高くそびえる城壁が遠くから見えていました。本島の城跡とは完全に趣が異なる丸みを帯びた城壁が強烈なインパクトを与えてくれます。
 お城には一本道となった急な坂道をあがった先が駐車場になっています。世界遺産なのに無料で、しかもお店やパンフレットさえなにもないという非常に寂しい状態(^-^;のグスクですねぇ〜。縄張りは階段状になった四つの郭と南方に突き出た見張り台らしき郭とで構成された梯郭式となっています。やはりさすがは世界遺産。外国の方も見学にこられていました。急いで目の前の城壁を駆け上がりたいという衝動を抑えながら周りを散策します。四の郭は現在はあまり遺構もなくわかりにくいですが、今でも井戸があったり当時の建物礎石があったりするんですね。来られている女性がやたら厳しい視線で歩き回っておられましたが、かなりの猛者とみました(笑)。
一の郭にある御嶽 一の郭からの眺望は最高です。が怖い・・  さて、ようやく階段をあがっていきます。一部真っ白な石材が使われていますが修復されたのでしょうか?三の郭はだだっ広い空間が広がっています。左手側少し先が海ですが城壁の上から下をのぞきこむと下から突き上げてくる風で体のバランスを奪われてしまいます。当日は台風が近づいてくるということもありかなりの強風が吹いていますので急な断崖上にいる恐怖を感じるとともに、城の堅牢性を実感させられました。
 二の郭には建物の礎石がありますがここに建てられていた建物は相当丈夫に作らないとすぐに風雨に壊されてしまうでしょうね。出土遺構の中に瓦が出なかったということですから、板葺きだったと考えられているようです。うーむ、大丈夫なのか。(^^;
 さて一番高い一の郭にやってきました。三方が断崖となった崖の先端部です。城壁の幅が1メートルくらいある箇所があるので上に乗ることができます。先ほども書きましたが台風がやってきてますのですごい風・・。少なくともここには監視員がいてもいいんじゃないかなぁと思うんだけどなぁ。
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