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膳所城跡 登城日:(1999.06.28) 所在地: 大津市本丸町、膳所城跡公園 |
| 歴史 |
膳所城は慶長六年(1601)に徳川家康の命により天下普請の城として築城工事が行われました。縄張りは築城の名手、藤堂高虎です。竣工後は大津城の戸田一西が入部し、その後は嫡男氏鉄、本多康俊、俊次等と代わり次第に城下町として栄えていくことになります。 湖水にせり出した格好で作られた本丸は二の丸と廊下で結ばれており、水面に映える石垣や白壁、そして四層の天守は絶景だったそうです。
寛文二年(1662)の大地震で、膳所城は大打撃をうけました。そしてその後の改築後の本丸跡が現在の膳所城跡公園であり、二の丸跡が膳所浄水場です。そうしてそのまま膳所城は明治維新を迎え明治四年(1871)に廃藩となりました。TBSブリタニカ『日本の名城・古城事典』より
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| 資料 |
| 私見 |
堀に囲まれ、城門も残されている膳所城跡に一切の案内板が見つかりません。天守跡を示す木板はあるのですが、説明文は全然見つからないのです。付近にある城跡のなかでは比較的本格的に残っていると思えるここ膳所城は一体どういう扱いをしているのでしょうか。大津市は何をかんがえているんでしょうか。しかし資料にあるように琵琶湖にせり出した縄張りの本丸をもつ膳所城の姿はいったいどんな風だったんでしょう。実際本丸跡地を目にしましたが、あれだけ湖岸に寄っていれば船からの攻撃に弱いんじゃないのかなぁとふと疑問に思ってしまいました。 ![]()
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