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洗合城跡


登城日:(2007.04.07)
所在地: 松江市外国屋町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
天倫寺が建つ地も洗合城の城域です。  永禄五年(1562)中国平定をめざす毛利元就は、この辺りに山城を築き、富田城攻略の前線拠点としました。毛利元就がここに城を築いた理由は、前面に宍道湖を眺められるこの地が見通しがきき、兵員や物資の輸送に便利であること、中海と宍道湖を結ぶ水道をおさえることができること、また法吉の白鹿城(当時尼子氏の支城『出雲十旗』の筆頭の城)を攻めるのに絶好の地だったことなどが考えられます。城の範囲は東は天倫寺のある辺り、西は南平台住宅地全域、北は国屋地区の県道沿いまでであったようです。過去2回の発掘調査で郭、土塁、柵、堀切の遺構が発見されています。また、出土品として、灯明具、明時代の青磁片、小形和鎮、古銭等があります。ここから毛利元就は、永禄六年(1563)白鹿城を攻撃して勝利し、永禄七年(1564)本陣を東出雲町京羅木山に移しました。

『洗合城跡案内板』より

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資料
 

私見
宍道湖のキラキラとした水面が眩しいです。 寺の奥が洗合城の中心地だったのでしょうか。  洗合城(荒隈城)は松江城から見て南西約1キロメートルほどの丘陵上に築かれた山城です。天倫寺が建つ辺りから丘陵上の団地にまで広がる城域は、かなりの部分が破壊されてしまっています。しかし団地造成の際に発掘調査が行われたおかげで多くの遺構が出てきたようですが、今は階段状とされるかつての城域を想像しながら見るほかはないようです。
 ここから見下ろした宍道湖の水面が日の光を眩しく反射しているのを眺めているだけで癒されるのを感じましたが、この宍道湖の眺めだけは当時と変わらないものだったのでしょうね。
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