HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

山中幸盛屋敷跡


登城日:(2006.10.08)
所在地: 安来市広瀬町町帳
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
山中幸盛屋敷跡に置かれた石碑  山中鹿介幸盛を輩した山中氏は尼子氏の庶流である。幸盛は天文十四年(1545)8月15日、父満幸、母なみ(立原佐渡守綱重の娘)の次男として生まれた。この地で生まれ育ったかは確実ではないが、古文書や系図等の調査により比定されている。

『史跡ガイドマップ』広瀬町刊参照

【戻る】

資料
 

私見
屋敷跡周りには石垣が組まれています。 奥にはさらに一段高まっているように見えます。  安来市歴史資料館そばにある新宮橋を右折ししばらく車を走らせること1分くらいで表示がでていますので迷うことなく行けると思います。ただ、一瞬民家の庭先に入り込むことになるのか?と焦りますがよく見れば上へとあがっていく登城道が作られていますから安心して散策してください。
 墓地をすぎ、すぐ先に1メートル弱ほどの石垣で段差をつけられた屋敷跡が現れます。背後は山裾で守られていますが、奥へ進むと月山富田城へとつながる道があるのでしょうか?ここが山中鹿介の居館であったということは確実ではないのかもしれませんが、山麓にある城主の居館といった雰囲気がよく残っています。
【戻る】