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花輪城跡
登城日:(2002.04.29)
所在地: 流山市下花輪1358−1、花輪城址公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 復元された土橋と空堀  戦国時代、小金城主高城氏に属した城の一つ。空堀跡、犬走り跡が確認されたほかに、中・近世の陶磁類、古銭、板碑などが出土。花輪城址公園は平成元年(1989)設置。

 花輪城は、市内では深井城・前ヶ崎城・名都借城とともに存在した、中世城郭の一つです。十六世紀戦国期に松戸市小金の大谷口城を本拠地として、周辺一帯を支配していた高城氏に属する城でした。北を除く三方を急な斜面に囲まれた細長い台地は、天然の要害といえます。発掘調査により、台地を東西に区切る深さ三メートルの空堀と土橋が発見され、二つ以上の郭が連続する城郭形態(直線連郭式)の一部が明らかになりました。花輪城は高城氏が滅亡した十六世紀末には、その役割を終えたと考えられています。
観音堂礎石  琵琶首観音堂は、かつて県道付近に本堂があった、真言宗西福寺境内の観音堂です。解体前に行われた調査によれば、十七世紀前半の建築様式を持つものであることがわかりました。茅葺きながらも三間堂であり、その規模や内部の装飾は当地の経済性の高さを推測させるものです。地域の信仰を集めた本尊は、「朝寝坊の観音」と呼ばれる等身大の観世音菩薩立像(天文八年銘 1539年)で、現在は市内桐ヶ谷の西栄寺に安置されています。
 公園内に保存整備された、花輪城の空堀と観音堂の基壇・礎石が、当地の長い歴史を物語っています。

『花輪城跡案内板』より

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資料  

私見 花輪城平面図  市川市から松戸市を抜け、流山市にはいってきました。そうです。初めてのバイクによる城攻めなのです。最初は分りやすいところを、ということで県道脇にある、花輪城址公園となっている花輪城にいってみました。
 流山駅の前を通り、左手には東葛病院がある右手の公園がそれです。非常にわかりやすいので「城跡っぽいな」と思われたらたぶんそこが正解です(笑)。
 城址公園ということでかなり整備されているところという認識はあったのですが、意外にも土橋(こっちはまぁ復元ですが)や空堀、観音堂礎石など、当時の遺構が非常にいい状態で保存されています。ワタクシ事ですが、幸先いいスタートになりました。(^_^;
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