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真里谷城跡
登城日:(2003.05.10)
所在地: 木更津市真里谷
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 真里谷城本丸である千畳敷  「まりが谷城」とも呼ばれたこの城は、戦国時代の初期にあたる康正二年(1456)、上総国に進入した甲斐(山梨県)の武田信長(武田信玄の五代前の先祖)が庁南城(夷隅郡長南町所在)とともに上総地方を支配するため築いたもので、この地方の中心となった山城といわれています。
 城は千畳敷と呼ばれる主郭(本丸)を中心に東西700メートル、南北400メートルにわたって山全体を大きく人工的に造り変えています。
 城は主な出入口となる大手道を守るように四つの部分からなり、的に進入を防ぐための土塁や曲輪などがつくられています。
手前の虎口  主郭の前面(南側)には、自然の谷を利用して大きな掘切(大掘切)を設けています。
 非常時の逃げ道となる搦手道を主郭の北方の尾根につくり、万田野を通って市原方面へ退くようつくられています。
 この真里谷城は、永正四年(1517)から天文三年(1534)までの約20年間が全盛期であったようで、武田と里見の連合勢が北条勢にやぶれた国府台合戦(1536)以後、武田氏一族の勢力が衰えるとともに力を失い、豊臣秀吉が関東を平定した天正十八年(1590)、真里谷信高の代に城は廃止されました。

『真里谷城跡案内板』より

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資料  

私見 真里谷城内には見所満載  409号線から細い道へ折れ、くねくねと山ん中を走っていきますとキャンプ場への標識がでてくると思います。目指すはそのキャンプ場です。バイクでいけるところまでいくとフェンスでそれ以上進入できなくなっている地点があります。その右手の高台がすでに真里谷城の二の郭跡です。
 キャンプのオフシーズンは入れなくなくなっているようですが、「車両による」進入は禁止なのかな、と解釈して(汗)、徒歩による散策をはじめました。(っていいのか・・)
 もちろんいたるところに掲げられている『たけのこ取るな』は厳守しております。ハィ。
 前置きが長くなりましたが真里谷城跡に到着しました。キャンプ場を通りすぎ、主郭への虎口から千畳敷へ。
 両脇に背丈以上の高さの土塁があり、その先には掘跡のような地形になっています。面白いですね。
 そして主郭である千畳敷の広大な平地が広がります。だだっぴろいとはこのことですね。千畳敷は竹田城や、金沢城なんかを思い出しましたがそれらと比べてもここの本丸はほんと広いですね。
 そこから奥へといくと空掘跡やら土塁が続いてたりして、見所満載です。なのに今となって思えば足元に転がってたたけのこの残骸ばっかで・・(^^;たけのこは取っちゃいけませんよ。って誰に言ってるんだか。
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