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手賀城跡


登城日:(2005.10.09)
所在地: 柏市手賀
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
手賀一帯の何箇所かで土塁が見られます。  手賀城の詳細は不明である。『手賀城城主原氏系図』によれば、小弓城主原胤清の子胤貞が下総国相馬郡手賀六百貫を賜り、その後胤親、久胤へと続いたとある。しかし異説もあり明らかにはされていない。
 元亀二年(1571)以前、臼井城主の原上総介胤貞は、家督を小弓城の子胤栄に譲った。天正二年(1574)頃には胤栄が臼井城主となり、胤貞は上総小西城に移る。天正十七年(1589)、秀吉による小田原攻めが開始される前には胤栄は没している。

『東葛の中世城郭』崙書房出版刊参照

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資料
 

私見
U郭跡とされる興福院  手賀城は、手賀川の南に広がる水田のさらに南側の台地上にありました。現在はほとんどが宅地となり旧状は大部分が破壊されていますが、集落内を歩いてみれば時折残る遺構の数々にかつての姿を思い浮かべることができます。城の規模は東西約680メートル、南北約450メートルという広大なものです。基点としてわかりやすいのは興福院の境内がU郭となっています。そこから北側にTがあり土塁や犬走り、道路となった空堀などが見られます。また同寺の南東へと足を進めると土塁があり、道路に出ますと道路脇を10メートル以上にわたって土塁が続いています。櫓台とされる高台(?)をすぎると大手虎口とされる三叉路があり(^^;、場所により明確に判るところと無理やり納得しないといけないところいろいろです。
 この城を訪れる場合は事前に縄張り図を入手されることを強くお奨めします。かつてのお城がところどころにその面影を残しながら現代にうまく融合している姿はじょじょに実感がわいてきますので、見てて楽しいですね。お城や現在の状況などまたく統一感はないですが、例えば滋賀県の植城とか、兵庫県の国分寺構居伊丹有岡城などは付近を散策するのが楽しくなってきますよ。
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