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阿尾城跡
登城日:(2003.05.25)
所在地: 氷見市阿尾
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 土橋状の先が伝本丸跡 海に突き出した形となっている阿尾城跡  阿尾城は富山湾に面した標高二十〜四十メートルの独立丘陵上に立地し、その独特の景観とともに市民に親しまれている史跡である。
 発掘調査では伝二の丸、伝三の丸から中世の土器・陶磁器類が多数出土した。また伝本丸には櫓があったと伝えられ、ここで海上交通を監視していたと思われる。
 築城の時期は不明であるが、出土遺物からは十五世紀後半頃に城としての利用が始まったと推定できる。
 天正・文禄年間(1573〜1596)頃には菊地右衛門入道・十六郎父子が居城した。菊地氏は織田信長配下の佐々成政に従ったが、成政と前田利家が対立すると前田方へ寝返り、一万石を安堵された。しかし慶長初め(1597頃)には廃城となり、菊池氏の子孫は加賀藩士となった。

『阿尾城跡案内板』より

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資料  

私見 遠くまで一望できる伝本丸跡  国道160号線を高岡市から能登方面へと車を走らせていますと氷見市阿尾のあたりで右手に海に突出した岬が視界に飛び込んできます。海面からの高さはさほどでもないのですが、急な断崖絶壁が格好の防護の役割を果たしている、阿尾城跡でした。
 近づいてみますと、城跡は神社の鳥居をくぐりつつ傾斜を登っていくのですが、その手前には駐車場とトイレが設置されているほどの整備ぶりには嬉しいですね。
 さほど険しい道ではないのですが、地形の妙にどう表現していいか迷うところですが、それも途中からだんだん道が細くなり、伝本丸跡手前になると両側がえぐられたような状態の土橋状となったルートを慎重に進みます。そして、伝本丸跡へ。
 すばらしい眺めが広がります。本丸跡は二段の削平地を形成しており、現在の展望台があるところに櫓でもあったのかもしれませんね。全方位を見晴らしできる最高の眺めを楽しむことができること請け合いです。
 そういえば千葉の小浜城勝浦城がこんな感じでうまく海を利用してたなぁ。
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