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日方江城跡
登城日:(2003.05.25)
所在地: 富山市日方江、了照寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 日方江城跡とされる了照寺  この城は、安土桃山時代の天正年間(1573−91)以前に大村城の出城として成立したという。轡田豊後守の居城と伝える大村城の東400メートルに位置し、轡田家の家老、あるいは江上重左衛門(萬十郎)の居城であったとされる。
 西は窪田川、東は琵琶川の沼地、北は海と天然の要害に囲まれ、浜街道の要所にあった。
 浄土真宗了照寺境内を中心に、南北約80メートル東西約70メートルが城跡とされ、境内の南側から西側にかけて高い土塁と空掘りが残る。寺の南側に空掘と郭、東側に土塁と空掘、富山学園南側に空掘などが残り、築山割・築山畑割・屋敷割など城に関する小字も多い。
 北方の天神社境内には、上杉謙信が大村城の動静をうかがうために作った「そうけ塚」また南方には、兵が馬の足を洗った事に由来する「馬橋」などの伝承地がある。

『日方江城跡案内板』より

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資料  

私見 日方江城跡とされる了照寺  寺だとは一見してわかりにくい了照寺でしたが。入り口正面に城跡である案内板だけが設置されていました。そこにある文章を参考に現状を確認してみたのですが、あまり遺構はよく分からなかったです。
 それより上杉謙信が築いたという「そうけ塚」を探しにいけばよかったなぁと後悔してます。
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