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守山城跡
登城日:(2003.05.25)
所在地: 高岡市東海老坂
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 公園化されている守山城跡  守山城はまた、二上城、海老坂城、とも呼ばれています。
 越中平野を一望に見下ろし、山高く道険しく前方は小矢部川、後方は氷見の湖水にはさまれた国中随一の要害であり、築城時期は明らかではありませんが「南北朝末期(1371)に南党の桃井直常が石動山天平寺の衆徒としめし合わせて、越中守護斯波義将の本城守山を攻め落とした」と歴史の中でいわれていますのでその創設は相当古いものと思われます。
 後に神保氏彊や佐々成政が在城したが天正十三年(1585)前田軍が攻め落とし、秀吉から賞賜されて前田利長の居城となりました。
 慶長二年(1597)利長は富山に城を築いてここを去り、以後前田対馬守長種が居守いたしましたが城下の寺院や商工業者は続々富山に引き移り、守山城や城下町は急速に廃れていったといわれています。
 現在城郭の全貌は明らかではありませんが、空濠・石垣・通路などが部分的に残っているほか、重臣たちの邸跡も地名に名残りをとどめています。

『守山城跡案内板』より

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資料  

私見 公園化されている守山城跡  高岡市街からはずれ東海老坂から城山へのドライブウェイを通って守山城跡を目指します。走り屋が好んで走りそうな道路を走っていますとやがて頂上あたりで駐車場が用意されている地点に到着します。そこから脇道へ少し戻ったところに守山城跡がありました。
 正直言って遺構らしいものはちょっと見つけにくいのですが、本丸跡地は公園化されており、ここからの眺望は絶賛に値します。山城の醍醐味の一つである、本丸からの眺めって結構重要ですよねぇ。
 しかし、現状の守山城はそれくらいしか話題にするところがないんです。
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