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田辺城

田辺城跡


登城日:(2011.04.30)
所在地: 田辺市上屋敷3丁目
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
水門を降りていきます。 水門を見下ろします  田辺城水門  田辺城は関ヶ原の合戦後、紀伊国に入国した浅野幸長の執政・浅野左衛門氏重によって、慶長十一(1606)会津川左岸河口に築城されました。
 その後、元和五年(1619)紀州藩主徳川頼宣の附家老・安藤帯刀直次が田辺領主となりましたが、安藤直次は紀州藩の重臣として和歌山城下に常駐していたため、田辺城には直次の従弟・安藤小兵衛を留守居役として置き、小兵衛家が代々城代家老を務めてました。
 明治三年(1870)田辺城は廃城となり、遺構の多くは姿を消しましたが、埋門型の水門とそれに続く石垣が当時の面影を留めています。

『田辺城跡案内板』より

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資料
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私見
一部コンクリートで固められていますが、石が特徴的ですね。 水門の外は河に面してますね。  別名に「錦水城」と称されることからその姿はさぞかし雄大なものであったのだろうなぁと想像させてくれる田辺城は水門と周辺の石垣がほそぼそと残されていました。浅野氏が広島に移封となった時に田辺を任された安藤直次でしたが、当時の城は小規模なもののようで、その後度重なる修築によって近世城郭としての完成をみたのは天保年間だったといいます。内堀と外堀を持ち、城下町を合わせた田辺城はまさしく「錦水城」と称されるにふさわしいものだったのでしょう。でも錦水の意味は分かってませんが(汗)。
 せめて水門脇に往時の様子がわかるような案内板があればいいのになと思います。私が訪れた時は猫が1匹昼寝をしている、実に静かな時間が流れているだけでした。ただ私は訪れていませんが、他にも石垣がわずかに残っているようですね。「よくよく見れば城の遺構だ」という探索の楽しみが得られる実は貴重なお城なのかもしれません(^^;。
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