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北ノ庄城跡
登城日:(1998.11.21)
所在地: 福井市中央1丁目柴田神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
発掘された石垣です。 柴田勝家さんがものすごい形相で鎮座しています。 北ノ庄 越前一向一揆を追った織田信長は、柴田勝家に越前八郡49万石を与えた。勝家は天正3円(1575)北庄の地に平城の城郭を築いた。しかし、9年後の同11年に、羽柴秀吉郡の攻撃で火炎に包まれ、そのことごとくが灰燼に帰した。その城跡は、あとの慶長6年(1601)結城秀康が改築した北庄城(現在の福井城)より、少しばかり南の位置らしく、現在の柴田神社の境内内に天守があったと伝えられている。
しかし、柴田勝家の北庄城については不明な点が多く、いまだ謎とされているところが多い。天正3年(1575)築城の縄張りをし、翌4年以後工事が進められたが、足羽川と吉野川の合流点を本丸のポイントに、北へ二の丸、三の丸を配した。同6年にも再度の修理をおこない城郭を拡張しているが、流れに対する補強工事を固めたようだ。同9年に至っても工事は続行された。その結構は「城中ニ矢蔵を高く築き、天守を九重ニ上せ候」と秀吉が毛利輝元へ宛てた書状にも記されている。おそらく信長が安土に築いた外観五層、内部七階の天守に優るとも劣らない構造だったようである。
天正10年(1582)、本能寺の変で織田信長が自刃したあと、後継者をめぐって羽柴秀吉と争い、翌11年に賎ヶ岳の合戦で大敗して後退を余儀なくされた勝家は、城へ火を放ち妻と共に自刃した。

『日本の名城・古城事典』TBSブリタニカより


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資料
 

私見
お市の方もいらっしゃいました。  柴田勝家が築城したこの北ノ庄城はいまだ発掘調査が行われていました。ですからあまり見るものはありません。発掘された石、柴田勝家の像とお市の方がすこし離れておかれています。今度行く機会があれば茶々が増えているか楽しみです。(^_^;)
ここもそうですが、福井県は今後こういった遺構の復元に結構力を入れているようですね。歴史のある県を主張していく路線を歩んでいくのでしょうか。
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