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功山城跡
登城日:(2003.05.18)
所在地: 姫路市妻鹿町甲山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
神社境内にある城址碑  功山城(国府山城、妻鹿城とも)は、市川左岸の甲山(標高102メートル)にあり、別称を妻鹿城・国府山城・甲山・袴垂城ともいわれています。
 初代城主は、薩摩氏長の子孫で「太平記」で有名な妻鹿孫三郎長宗です。長宗は元弘の戦(1330年頃)赤松円心に属して功を立て、その功によって妻鹿地方を領有するようになり、ここ功山に城を築いたといわれています。
 その後、姫路城内で生まれた黒田官兵衛孝高の父職隆は、天正元年(1573)に姫路城から功山城に移り居城としました。また、天正八年(1580)三木城主別所長治を滅ぼした豊臣秀吉は三木城を居城としました。これに対し、官兵衛孝高は三木城が戦略的に不備であることを進言し、自らの居城である姫路城を秀吉に譲り、功山城に移りました。
功山城です  官兵衛孝高は、後に九州福岡に移り、黒田藩五六万石の大大名の基礎を築いたことはあまりにも有名です。
 天正十三年(1585)職隆が没した後は、廃城となったようです。なお、職隆公の廟所は妻鹿町内にあり、町民に「筑前さん」と呼ばれ、親しまれています。

『功山城跡案内板』より

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資料
 

私見
数ヶ所確認できる曲輪跡  国府山城は、甲山の南側麓にある荒神社の境内をあがり、社の右手前から城跡へとあがる道がつくられています。整理しますが、私としては国府山城と言いたいのですが、城址碑には「妻鹿城」となっているし、案内板には功山城となっているし、実に面倒です。とりあえず案内板に従い、功山城で統一します。
 100メートルの小さな山なんですが、結構入り組んだ構造になっていて、また途中何箇所かが平坦な地形をつくられており、曲輪跡が確認できました。主郭からは姫路城だけではなく、置塩城まで見渡すことができる絶好のロケーションには、さすがですね。ってまぁ黒田氏が築城したわけじゃないんですが。
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