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天神鼻台場跡


登城日:(2006.02.05)
所在地: 飾磨郡家島町宮
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
リニューアルされた天神鼻台場  諸外国からの開国要求が高まる中、江戸幕府は、各地の大名に防備の強化を命じ、姫路藩では、嘉永二年(1849)家島と対岸の室津に大筒台場を構築することにした。ここは、その時築かれた家島台場の跡である。
 嘉永六年(1853)になって、アメリカ東インド艦隊のペリーは、軍艦四隻を率いて浦賀にあらわれ開国を迫った。あわてた幕府は、その年東京湾に品川台場十一基の築造を始めたが、完成したのは五基のみであった。そして、翌年再び軍艦七隻を伴い来航したペリーの圧力に屈し、ついに日米和親条約を締結し開国することになったのである。
 この家島台場に大砲が据えられたかは、不明であるが家島神社境内整備に際し、ここに新たに大砲石像一基を据えるものである。
 平成十三年十一月吉日

『天神鼻台場跡案内板』より

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資料
 

私見
敵船来襲〜!(^^ 一応裏手にある段差  家島の北東に伸びる天神鼻、家島神社の西側に天神鼻台場はありました。姫路藩主酒井忠宝の家老高須隼人が穂元台場とともに築造したということですが、現在は当時の遺構を探すのが難しくなっています。平成十三年に公園化され整備されてしまったので現在は立派な大砲が据えられていました(笑)。舞子砲台でもありましたが、やはりこういうのがあると雰囲気出ますね(^^;。
 資料には方形の土壇が残っていると書かれているのですが、もはやなくなっているのでしょうね。真新しい石垣の裏手に少しありますが、さらに裏手の窪地との段差のようにも見えます。
 頻繁に間近を通る船を見ながら、心の中でこの石の大砲をぶっ放していたのでした(笑)。
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