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佐山環濠跡


登城日:(2006.05.28)
所在地: 久世郡久御山町佐山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
佐山集落は複雑な路地が入り組んでいます。  佐山環濠集落の詳細は不明であるが、中世以降になって環濠などの防禦施設を構えるようになったと考えられている。南を木津川が流れ、また巨椋池からの浸水もあったとされることから防禦施設としての環濠を構えただけではなく、しっかりと排水機能も兼ねていたのであろうとされる。京都府地誌(佐山村誌)には『貞観中男山八幡宮の社領だったが、文禄年中には永井氏の采邑に転じた』ことが書かれている。

『日本城郭体系11』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
これはかつての環濠跡でしょうか。  木津川と淀川との合流点近く、国道1号線「久御山田井」交差点を東へ折れ、第二京阪をくぐった先が佐山環濠集落があったとされるところです。環濠集落は大和の有名どころである若槻環濠稗田環濠などしかめぐったことがありませんからこの佐山環濠の状態ははっきり言って難易度が高すぎました(笑)。
 しかし地図を見ますと集落の四方には東代、西ノ口、北代、南代などの地名が残りかつての入り口が残っていることが確認できたのだけでもかなり嬉しい収穫でした。また、集落の中央部にある大松禅寺あたりは道路が環状を残していたり、またその南の密集した集落はあちこちで行き止まりになっていたりとそれらがかつての様子を残しているんだろうかと必死に想像をめぐらせながら散策していました。
 カーブを描いている水路にカメラを向ける私を怪訝そうに見つめるおじさんに明るく挨拶し(笑)、怪しくならないうちに退散しました。
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