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稗田環濠跡


登城日:(2005.10.30)
所在地: 大和郡山市稗田町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
集落南東部にある売太神社 集落北側の環濠  稗田環濠がいつ頃から城郭として機能したのかは不明である。『経覚私要抄』によれば文安元年(1444)二月、古市胤仙が稗田を「我城」に引いたとある。しかしその時の規模が現在の環濠集落の全域であったかはわかっていない。

『日本城郭体系10』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
北東部の折れのある環濠  大和郡山市内にある環濠集落の代表的なものとして若槻と共にあげられるのがこの稗田環濠でしょう。もともとは灌漑のためのものだったが度重なる戦火にまみえる中で軍事的な防御機能としても備わっていった環濠が軍事的な機能を果たす一例としてあげられていますね。一説によれば集落内南東にある売太神社境内を主郭として複郭構造を持っていたのではないかと考えられているようです。
 環濠の状態は現在も見事に集落を取り巻くように存在しています。南西に張り出したような箇所の接点の所が虎口とする見方もあるようです。ちょうど横矢がかかったようなところです。同様に北東部にも横矢がかかった屈曲部がありますが、こちらは単なる鬼門除けだということです。彦根城にも同様の多折れ機能が見られるそうですね。(「筒井城総合調査報告書」より)
 集落内の狭くてまっすぐに走れない路地を車で走っていると迷路に入り込んだ錯覚を覚えます。こういった構造もいわゆる城郭機能の一つなんでしょうね。
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