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彦根城
登城日:(1999.01.31)
所在地: 彦根市金亀町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
天秤櫓。 この彦根城は、慶長五年(1600)井伊直政が、関ヶ原の戦いに徳川四天王の一人として抜群の功をたて、この戦いに敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、慶長六年(1601)上野の国高崎城から佐和山城に移ってきた。
その後直政は城を彦根山に移そうと考えたが実現せず病死し、慶長八年(1603)その子直継が父直政の遺志をうけて彦根城の築城に着手した。時の将軍家康は特に奉行を差し向け7ヶ国12大名にも応援させ、元和八年(1622)現在の彦根城が完成、築城をはじめてから実に20年の年月を要したもので、城地面積約0.25平方キロメートル(75,800余坪)周囲約4キロメートル(1里)高さ約50メートルの彦根山に築城した平山城である。
昭和26年(1951)に彦根城天守閣をはじめ天秤櫓・太鼓門櫓・三重櫓・佐和口多聞櫓を重要文化財に指定され、さらに同27年(1952)には天守閣を国宝に、同31年(1956)には彦根城一帯を特別史跡に、同38年(1963)に馬屋を重要文化財にそれぞれ指定されている。また、新日本観光地百選の一つとして琵琶湖八景「月明彦根の古城」として知られている。
天秤櫓を抜けて本丸へ。 ◆天守閣(国宝)
天守閣は、京極高次が築いた大津城の天守を移築したものといわれ、慶長11年(1606)に完成した。石垣は「ごぼう積み」といって外見粗雑に見えるが、頑丈な積み方で彦根城特有のものである。また天守閣は規模こそ小さいが、巧みに組み合わされた屋根の配置が実に妙を得たものとなっている。

『彦根城案内』より

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資料  

私見
天守閣。 日本にある国宝4城のうちのひとつ、彦根城は回りの町並みをも含めた一大観光地となっています。専用駐車場に車を止め、そばにある井伊直弼の石像の前を通り、入城料500円を払っていよいよ登城です。薄暗い石段を登った先には天秤櫓が見えます。立体交差となった通路はなかなか面白い造りです。さらに太鼓門櫓、天守閣に西の丸櫓と、彦根城は本当に見所が多くありますが、やはり一番は天守閣でしょうか。千鳥破風、唐破風と縦横に展開した天守の美しさは確かに国宝だけのことはあります。ま、私の個人的な好みで言わせてもらうと、銃創や矢傷を刻み込んだ戦禍が今日まで残っている荒々しい城が好きなんですが・・・・
天守閣に入るといつも思うのですが、どうしてあんな急な階段で当時の人々は我慢していたのでしょうか。越前の丸岡城しかり、尾張犬山城しかり。目の前で子供が一人滑り落ちてました。(^_^;;
当時もそんなうっかり者がいたのかもしれませんね。
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