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伊賀上野城跡 登城日:(1999.06.28) 所在地: 上野市 |
| 歴史 |
伊賀上野城は天正伊賀の乱(1581)の後、大和郡山から移った筒井定次が三層の天守を構えたのが最初である。定次が改易の後、慶長十三年(1608)伊賀伊勢の領主として伊予から移封された藤堂高虎が筒井故城を大改修して築いたのがこの城で、築城の名人と評された高虎がみずから縄張りをし濠を深くして日本一の高石垣で囲み梯郭式の堅固な城郭とし五層の大天守を築いた。ところが竣工直前、慶長十七年(1612)暴風雨のため天守が倒壊、そのうち大阪夏の陣で豊臣方の滅亡と武家諸法度による城普請の禁止により城は再び建てられることなく300有余年が過ぎた。 現在の天守閣は昭和十年(1935)川崎克氏が私財を投じて高虎の築いた基台に桃山建築の粋をあつめて再建したもので、わが国最期の木造天守閣である。 碧緑の上に見える城郭の美観は恰も鳳凰が翼をやすめる安らぎを思わせ、白鳳城の雅名もある。 (財)伊賀文化産業協会編纂「伊賀上野城」より
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| 資料 |
| 私見 |
約30mの高さを誇る高石垣は圧巻でした。一見乱雑と見える石垣は四隅の井桜積みを見ると見事な打込みはぎによるものだと分かります。しかも石垣の中腹あたりから上下の勾配値を変えて重心を安定させているところも美しい曲線が存在感を強く訴えかけています。そして視線を転じて天守へとやると、今度は三層の瓦の曲線に目を奪われてしまいます。湾曲した唐破風は彦根城を彷彿とさせてくれます。ま、こちらのほうが先に出来たわけなんですけどね。さすがは名人、藤堂高虎。瓦が大部分白く色が異なったものになっているのは去年の台風のせいだそうです。夕方で訪れる人もいなかったので暇そうにしている管理人のおじさんに話し掛けてみました。すると天守の脇に積み上げてある砂利や小石は投石用に運び込ませたものらしいということや、石垣のあちこちに灯篭などを壊して石垣に転用したものが多数含まれていることなどを教わりました。でもあんまり長くなりそうだったからちょっとした隙に退散しました。管理人さんどうもありがとうございました。(^^;
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