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中久喜城跡
登城日:(2002.11.09)
所在地: 小山市中久喜
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 線路に分断された中久喜城跡  中久喜城は久寿年間(1154〜1156)に小山政光により祇園城の支城として築城された。
 天正十八年(1590)の小田原征伐時に小山氏が改易になると結城氏に属する城となり、結城晴朝が養子とした徳川家康の二男、秀康に家督を譲ると晴朝は中久喜城を隠居城としたようである。
 のちに結城秀康が福井へ転封するようになり、中久喜城は廃城となった。
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資料  

私見 一見、畑のなかに藪として存在している  中久喜城は小山市のはずれ、結城市と隣接する位置にありました。城があったあたりはちょうどJR水戸線の線路が南北に分断してしまっており、無残な扱い(笑)をうけています。北側には物見台あととされるところとくの字に折れ曲がった堀跡が確認できます。城址碑もそこにつくられています。
 次に畑の脇のあぜ道のようなところを通り、線路を渡って南側にでてみました。だだっぴろい畑地のなかに茂みの部分だけが違和感を残していますが、そのあたりが本丸部分です。自転車で近づいていきましたがごみが投棄されているのを目の前にして非常に不愉快な気分になりました。
 自治体としてもっとしっかり史跡保存やPR活動をしていただき、ごみを捨てられるような場所にならないようがんばっていただきたいと切に思ったものでした。もちろん捨てる人は問題外ですよね。
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