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新宮周防守屋敷

新宮周防守屋敷跡


登城日:(2011.05.01)
所在地: 新宮市新宮、本広寺
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
新宮周防守屋敷の碑 新宮周防守屋敷跡である本広寺  南北朝中期以来、熊野別当にかわって熊野を統治した七人衆(七上綱)のひとり周防守行栄の屋敷跡。
 行栄は丹鶴姫の弟・新宮十郎行家の子孫といわれ、天正十九年(1591)新たに勢力を得た堀内氏善に同心せず討たれたといわれる。

 新宮城主 水野家菩提寺
 日蓮宗恵雲山本廣寺は、開山(1496)当初法華寺を名乗っていたが、延宝六年(1678)新宮城主三代の水野重上侯がこの寺を菩提寺とした時、父重良の法号・本廣院をとって寺号とし、母の法号・恵雲院を山号として恵雲山本廣寺と改めた。位牌堂の中心には水野家歴代主・夫人及び親族の位牌を祀っている。
 また、この寺には水野家所縁の品として、現在では制作が困難といわれる精巧緻密な工芸技術による水野家定紋「沢瀉」の入った経机や、茶道江戸千家の流祖川上不白が五代水野忠昭侯より拝領した定紋入りの飯器などを所蔵し、境内には千穂ヶ峰から流れる滝を借景とし、新宮城から移された様々な石を巧みに配置した庭園がある。

『新宮周防守屋敷跡案内板』より

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資料
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私見
 新宮市市街地の西側はお寺が集まっています。古い町並みの雰囲気も残るいい場所ですね。そんな中に本広寺がありました。門の脇に案内板が2つと史跡碑が用意されていますのはありがたいです。ただ・・遺構はよく分りません。
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