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今治城

今治城跡


登城日:(2009.09.22)
所在地: 今治市通町3丁目、吹揚公園
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
今治城の内堀と御金櫓 今治城の武具櫓  今治城は堀に海水が引かれた近世の平城で、大手二の丸に藩主の館を、三の丸大手口の表門に鉄御門(くろがねごもん)、馬出(搦め手)口に山里門を置いていました。藤堂高虎は、慶長七年(1602)六月から今治城の普請を開始、慶長九年に完成しました。同時期に徳川家康の天下普請に乞われ、各地の多くの築城の縄張りに関与しています。従って、今治城は徳川系城郭の雛形と言われています。
 高虎の城づくりは、高石垣、広い堀、大手と搦め手を明確化、虎口の出入口には枡形・方形の区画を設け、郭は四角形の構成を基本とすることが多い等の特徴が見られます。高虎は豊臣秀長、豊臣秀吉、徳川家康と多くの主君に仕え、城づくりと現場の体験から、高虎独自の工夫と、当時の最先端の技術を活かし、築城の名手として知られています。
 自らの居城としては、紀伊猿岡城、伊予宇和島城大洲城・今治城、伊勢津城伊賀上野城があります。豊臣政権下では秀長の命で、出石城大和郡山城聚楽第等を、秀吉の命では伏見城等を、徳川政権下では膳所城、再築伏見城、江戸城丹波篠山城再築丹波亀山城再築二条城再築和歌山城再築大坂城淀城などを築いています。
今治城鉄御門の枡形 今治城南側の眺望  今治城は海浜に立地する大規模な平城、層塔式天守、枡形虎口、舟入等城郭築城上、革新的なものが認められています。主要部を水際に置き、陸地部に郭を広げていく城郭縄張りは、坂本城近江大津城膳所城彦根城等の織豊期につくられた琵琶湖湖畔の城郭に多く見られ、これらの城の縄張りを祖形にしたものと考えられます。
 慶長末から寛永年間にかけて徳川幕府は、巨大な城郭を天下普請として驚くべき短期間に築いています。層塔式天守等に見られる、単純で規則的な積み上げ構造は用材の規格化を容易とし、工期短縮も可能とするなど、高虎は城郭構築技術の発展に大きく寄与したと思われます。

『今治城跡案内板』より

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資料
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私見
藤堂高虎の像 今治城天守と山里櫓 天守の前にも枡形がつくられています  10年ぶりくらいでしょうか。今治城にやってきました。あいにくの天気ですが日本100名城の1つになったこともあるのでしょうか、多くの人が訪れています。内堀に面したお城の東側の駐車場に車を停めると、美しい内堀と御金櫓を撮影しつつ、堀中を悠々と泳ぐ海の魚(多分)をしばらく眺めていました。現在は内堀に囲まれた部分が吹揚公園として整備されている今治城ですが、かつては現在の10倍の城域があったと言います。三重の堀を持ち、海とつないで船入をつくり軍船を係留していた海城です。よくよく見れば石垣にはフナムシがいたり、蟹があがってきたりもしていますので、確かに海水を堀に取り込んでいるんだなというのがよくわかります。  城の北側から入っていくことにしますと、今治城の印象がずいぶん変わったなと感じました。やはり鉄御門の完成が大きいですね。武具櫓から続く櫓門と枡形は迫力があります。ここの冠木には岩手県の山中からみつけられた相当立派な赤松の木が使われているそうですね。かなりの御苦労があったことと思いますが、なんとなく火天の城を彷彿とさせてくれるエピソードでした。
 二の丸に足を踏み込むとすぐ目の前に藤堂高虎の騎上の像が天守と重なって見えます。少しずつ角度をずらしながら絶好の撮影ポイントを探す方は少なくないと思います。この像、なかなか格好いいのですが正面から高虎の顔をよくよく見るとそれなりに年齢のいった渋いおじさんといった印象です。若いイケメンじゃなくてよかったですが、なんか高虎のイメージと違うなと感じるのは私だけでしょうか。
天守から見下ろす山里櫓と内堀 真新しい鉄御門内部 鉄御門から下を見降ろせます  さて天守内に入ります。以前は外から眺めただけでしたので五層六階の今治城天守に入るのは初めてです。1階は100名城スタンプを押して受付をすませ、上の階へと階段をあがっていきます。今治城天守は昭和五十五年に建てられた鉄筋コンクリート製の模擬天守ですので止むをえないとは思っていましたが、階段を上り下りしている際はまるで病院にいるような錯覚を覚えます。しかし展示物は半端ないですね。藩主着用の甲冑や刀剣、今治城絵図などのよくある展示物は当然として、なんと天守とつながっている多聞櫓には近隣の生物の剥製が展示されていました。魚介類や鳥、昆虫、動物らが所せましと並んでおり、なかなかのものです。珍しいというのもありますが、今治を紹介する資料として家族で楽しめるものになっているのは大変すばらしいと思います。また櫓門内にも地場産業を紹介していたりと、今治城は今治の広告塔であり、城に来れば今治市がわかるようになっているといってもいいかもしれません(^^;。
 最上階である6階はまわりの眺望が拝めるようになっています。鉄御門や周囲の内堀、かつての城域を一望できるのは天守の醍醐味ですね。また今治城が建てられる前に高虎が入っていた国分城も遠くに見えています。
 天守を出ると一通り写真映えする角度を探してうろうろうろ・・。コンクリート製の模擬であっても今治城の天守はなかなか見栄えいいですね。山里櫓脇の櫓門をくぐったあたりから見上げたあたりも迫ってくるような迫力を感じます。また、広大な水掘りとまっすぐに積まれた石垣と犬走りも今治城の特徴の1つですので、おさえておかないといけませんね。
 最後に鉄御門内も散策しましたが、真新しい木造構造がまぶしいです。まだ何も置かれていませんでしたが、今治城のことですから今度来た時にはここも博物館や美術館さながらの展示物で手狭になっているのかもしれませんね。
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